東京地方裁判所 昭和42年(ワ)7235号 判決 1969年9月26日
原告
星野安三郎
代理人
栂野泰二
外二六名
被告
国
指定代理人
小林定人
外三名
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一、当事者が求める裁判
原告
「被告は原告に対して金百万円、およびこれに対する昭和四十二年七月二十二日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決、および仮執行の宣言。
被告
主文と同旨の判決。
第二、原告の請求原因
(一) 原告の地位
原告は東京学芸大学教授で、憲法学者であり、憲法擁護東京都民連合(略称を「東京護憲」という。以下右略称による。)の代表委員として、右団体の所属員とともに、憲法擁護運動を推進してきたものである。
(二) 内閣総理大臣の異議申述に至るまでの経過
(1) 原告は東京護憲の代表委員として、昭和四十二年六月十日に憲法施行二十周年を記念し、憲法擁護の趣旨を広く国民に訴えるため、杉並区役所前から日比谷公公園まで、東京護憲加盟各団体の所属員を中心とする参加予定人員約千名の集団示威運動(以下本件「集団示威運動」という)を行なうことを企画し、同年六月五日、昭和二五年東京都条例第四四号、集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例(以下「都公安条例」という)に基づき、東京都公安委員会に対して本件集団示威運動の許可を申請した。
(2) 東京都公安委員会は、同月八日付をもつて、右許可申請の行進順路のうち赤坂見付交差点―特許庁角間のいわゆる国会周辺コースを、赤坂見付交差点―山王下―溜池交差点―特許庁前間に変更するという条件を付した許可処分をした。
(3) 同月八日、原告は、右条件は憲法第二十一条が保障する表現の自由を侵害するものであることを理由として、右条件の取消しを求める訴訟(東京地方裁判所昭和四二年(行ウ)第八二号事件)を提起するとともに、右条件の効力の停止の申立(同裁判所昭和四二年(行ウ)第二四号事件)をしたところ、東京地方裁判所民事第二部は、同月九日付をもつて、右申立を理由ありとして、右条件の効力を停止する旨の決定をした。
(三) 内閣総理大臣の異議申述
同月九日、内閣総理大臣(以下「総理大臣」という)佐藤栄作は、原告が東京都公安委員会に許可申請した本件集団示威運動は、その進路に国会議事堂、総理大臣官邸などがあり、無条件に集団示威行進を許可するときは、開会中の国会の審議が阻害されるおそれがあること、また、かかる集団は潜在的に暴徒となり得る危険性を有していることなどを理由に、公共の福祉に重大な影響をおよぼすおそれがあるとして、行政事件訴訟法(以下「行訴法」という)第二十七条第一項に基づく異議の申述(以下「本件異議申述」という)をした。本件異議申述によつて、同日、前記裁判所は前記の効力停止決定を取消した。そのため、原告は、前記のいわゆる国会周辺コースを通つて集団示威運動を行なうことができなかつた。
(四) 本件異議申述の違憲、違法性
(1) 行訴法第二十七条の違憲性
(イ) 憲法第七十六条第一項にいう司法権とは、法律上の争訟を裁判する国家作用であり、その対象には行政処分も含まれることはいうまでもないから、憲法は行政処分に対する司法審査権を確立している。そして、憲法が統治機構におけるいわゆる三権分立の原則を前提として、行政処分に関する法律上の争訟に対する判断の権限を裁判所に委ねた以上、裁判所の判断の結果に対して、行政機関が不当に介入することは許されないといわなければならない。しかるに、行訴法第二十七条第一項、第四項によると、裁判所は総理大臣の異議によつて、その理由の当否を判断することもできないままで、一方的に行政処分に対する裁判権を奪われる結果となる。このように総理大臣の一片の異議によつて裁判所が拘束されることは、三権分立を建前とする憲法秩序のもとで、行政権の司法権に対する不当な干渉、介入であることはいうまでもない。また、行政機関の長である総理大臣にこのような権限を附与することは、行政事件訴訟の一方の当事者に、問答無用的な権限を与えたものといえるのであつて、訴訟当事者の対等という訴訟の基本構造にも反するものであり、さらには、裁判の公正を担保するため、憲法第七十六条第三項が保障している裁判官の職権行使の独立性を侵害するものであることは明らかである。
(ロ) 三権分立の原理は国民の自由を護ることにその窮極の目的がある。権力の分立という以上、当然、立法、司法、行政などの権力の種別を前払とはしている。しかし権力分立の原理の重点が、国家権力を理論的に分類したり、その制度上の種別、組織、技術上の分立を明らかにすることにあるのではなく、国家権力の濫用から国民の自由を護ることにあることを看過してはならない。すなわち、権力分立の原理に基づく国家機関相互の権力の配分と抑制を考えるに当つては、まず国民の基本権に対する配慮を優先せしむべきであつて、権力の種別に関する概念的区別を先行させるべきでない。憲法は、行政処分の審査権を裁判所に附与することによつて、権力の濫用を防止し、国民の権利保護の実を挙げることを要請し、期待しているのである。ところで、裁判所の終局判決は、その性質上、内容はもとより、手続上も十分公正であることが要請される。手続的正義の要請にこたえつつ審理をすすめて、終局判決に至るまでには、必然的にある程度の月日を要することはいうまでもない。しかしその間に権利の侵害が継続し、このために当事者が回復困難な損害を受けたならば、後日勝訴判決が下されようとも、右判決は当事者にとつて救済の実を有しないことはいうまでもない。行訴法第二十五条が定める行政訴訟における執行停止の制度は、裁判制度にとつて不可避的な期間の経過による裁判の形骸化防止のための制度であり、司法権がその本来の機能を十分に発揮するうえに、必要不可な制度である。被告の、行訴法第二十七条が憲法第七十六条第一項に違反しないという主張は、司法権、司法作用をもつて、「行為の適法、違法の終局的確認であり、これに限られる」という極めて限定的な解釈を前払としている。なるほど、適法、違法の終局的確認作用が現に裁判所に附与されている権限のうちで最も重要な地位を占めてきたことは事実であるが民事訴訟法上の保全処分にその例がみられるように、終局判決に至るまでの間の暫定的法律関係形成作用も、伝統的に司法裁判所の権限とされてきており、終局的確認作用に限定されてきたわけではない。司法権、司法作用を被告主張のように限定的に解することは、前記のような憲法がとつている三権分立制の目的、裁判所の終局判決をする権限と執行停止制度との密接不可分な関連性に対して故意に目をつぶるものであるとの非難を免れない。
(ハ) 司法権の独立は、本来の裁判権行使の独立が認められていても、裁判所の自主性、自律性が保障されていなければ到底完全なものとはいえないから、憲法は、その第七十七条、第七十八条、第八十条等によつて、裁判所の自主性、自律性を保障しているのである。したがつて、行政機関が、裁判官の権限に属する事項について、直接裁判官を指揮し、服従を命ずるようなことは、仮にその事項が憲法第七十六条第三項が行使の独立性を保障している裁判官の職権自体に属しないものであつても、司法権独立の論理的帰結である裁判所の自律権を侵害するものであり、憲法第七十六条に違反するものといわなければならない。ところで、行訴法第二十七条は、その第二、第三、第六項において、総理大臣の異議申述に制度を設けてはいるが、裁判所は当該執行停止手続内においては、異議理由の当否を審査することができず、執行停止決定をすることができず、あるいは必ず執行停止決定を取消さなければならないとの拘束を受けるとするならば、異議申述といつても、それは総理大臣に裁判官に対する直接的指揮命令権を与えるのと、結果において何ら変るところはないといわなければならないから、行訴法第二十七条は憲法が保障している裁判所の自律権を侵害するものといわなければならない。
右のとおり行訴法第二十七条は、憲法第七十六条第一項、第三項が保障している三権分立、司法権の独立を侵害する違憲の法規であり、したがつて、行訴法第二十七条に基づいてなされた本件異議申述も違憲である。
(2) 本件異議申述の違憲性
(イ) 集団示威運動等の許可に関する処分取消の訴は、当該運動等の実施時までに司法的判断が示されて、はじめて実質的救済が得られることはいうまでもない。ところで、都公安条例第三条によると、集団示威運動等についての許可書は、右運動実施の二十四時間前までに主催者に交付されなければならず、またこれをもつて足りるとされており、現実にもそのような運用がなされ、本件集団示威運動についての許可書も、実施二十四時間前に交付された。このような場合、許可に付された条件の取消しを求める訴を、許可書交付直後に提起したとしても、裁判所が二十四時間以内に判決をすることが不可能なことはいうまでもないから、行訴法第二十五条に基く執行停止が唯一の司法上の救済の途である。このような事情の下で、総理大臣が、裁判所の執行停止決定を覆す効果を有する異議申述権を行使することは、国民にとつて唯一の司法上の救済の途を全面的に阻害し、拒否するに等しく、憲法第三十二条が保障している国民の裁判を受ける権利を実質的に奪うものにほかならない。
(ロ) 憲法第三十二条を、単に観念的な出訴権を国民に認めたに過ぎないものであり、出訴権が実質的に無意味となり、画餅に帰しても、何ら関知するところでないと解することの不合理なことは明らかであり、同条は、裁判所の裁判によつて、制度上技術的に可能な限り実質的な救済を受け得る地位を、国民に権利として保障したものと解すべきである。そして、行訴法第二十五条の執行停止制度が、判決を受けるまでの時間の経過によつて、司法的救済の実質的機能が失われることをできるだけ防止しようとする目的を有することを否定することはできない。そうすると、本件異議申述のように、それによる裁判所の執行停止権の消滅が本案判決を含めた司法救済の拒絶を結果するような場合に、総理大臣が行訴法第二十七条に基づく異議申述権を行使することは、憲法第三十二条に違反するものというべきである。
右のとおり行訴法第二十七条自体は違憲でないとしても、本件異議申述は憲法第三十二条が保障している国民の権利を侵害するものであり、違憲である。
(3) 本件異議申述の違法性
(イ) 本件異議申述は、その理由として、「およそ本件の始き集団行動は、単なる言論出版等によるものとは異り、現存する多数人の集合体自体の力、つまり潜在する一種の物理的力によつて支持されていることを特徴とする。しかもかかる潜在的な力は、あるいは予定された計画に従い、あるいは突発的に内外からの刺激、せん動等によつて極めて容易に動員されうる性質のものである。この場合は平穏な集団であつても、時には一瞬にして暴徒と化し、勢いの赴くところ実力によつて法秩序をじゆうりんし、集団行動の指揮はもちろん、警察力を以つてしても如何ともし得ないような事態に発展するような危険が存在することは、群衆心理の法則と現実の経験に徴して明らかである。」というが、右は、集団行動一般について、集団行動暴徒観ともいうべき見解を一般的、抽象的に述べたに過ぎないことは、その文言自体から明らかであり、本件集団示威運動が如何なる理由で公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれのあるものかの事情は、何ら具体的には明示されていない。したがつて本件異議申述の理由は、行訴法第二十七条第三項の要件を充たしていない。
(ロ) 行訴法第二十七条第六項にいう「やむをえない場合」というのは、執行停止決定によつて行政機能に致命的打撃を与えるような場合を指し、単に政府、行政官庁にとつて都合が悪いとか、望ましくない場合等を含まないと解すべきである。ところで、本件集団示運動が行われようとした日は土曜日であつて、国会における審議は一切なく、したがつて国会議員、政府委員等の国会関係者の国会への出入も殆んどなく、本件集団示威運動による国政審議の阻害ということはそもそも考えられないことであつた。さらに本件集団示威運動については、それが暴徒化して法秩序をじゆうりんし、警察力を以つてしても如何ともなし難いような事態に発展することをうかがわせるような事実は何ら存在していなかつた。したがつて本件異議申述は、行訴法第二十七条第六項が定めるやむをえない場合になされたとは、到底いえず、むしろ、国会周辺においては如何なる集団行動をも許さないとする、何ら法律上の根拠のない被告側の方針に基づいて行なわれたものであることが、極めて明白である。
(ハ) 国会が国権の最高機関とされるのは、国会が国民の意見を吸収して立法に反映させるという使命を持つためであるから、国会は常に世論の動向に注意し、これを吸収して国政の審議に反映させねばならない。そして、国民の意見は議会における多数党の意見に常に賛成するとは限らず、むしろ賛成、反対、批判等さまざまに分れるのが通常であり、かつそれが議会における各政党の勢力比に一致するものでないことは、顕著なことである。それ故、国民は憲法上許された手段でその国政上の意見を表明し、これを国政審議に反映される憲法上の権利を有し、国会もこれを尊重する義務がある。国民が右の意見を表明する手段は多種多様であるが、そのうちには、国会周辺の道路を含む公道上で集団示威運動を行なうことを当然に含むし、本件集団示威運動はまさにこれに当るのである。右のような意味で、国会といえども、国民の正当な権利行使によるアピールを抑圧することはできないのであり、国会周辺における静穏の保持が直ちに公共の福祉であるという、国会聖域論とでもいう考えのもとに、国会周辺における総ての表現行動を禁止するような被告の公共の福祉についての理解は、国政に関する表現の自由と国会のあり方についての正当な理解をいているといわなければならない。
(ニ) 行訴法第二十七条第三項、第六項前段の各規定が、訓示規定に過ぎないと解するならば、右規定は、違憲の疑が濃いとされた総理大臣の異議申述権を規制するものとしての法的効力をもたず、異議申述権の濫用を抑制する機能を全く有しないものとなつてしまう。行訴法第二十七条第六項後段の規定は、総理大臣の異議申述について、その政治責任の追及を可能ならしめようとしているのであるが、議院内閣制をとり、総理大臣の属する政党が多数党であることが殆んどである国会における政治責任の追及が、現実に何程の効果をもつかは甚だ疑問であるから、右規定があるということは、同条第三項、第六項前段の規定をもつて、訓示規定であるとする被告の解釈を正当化するものではない。
(ホ) 本件集団示威運動は東京護憲が企画、実施するものであつたが、東京護憲は別紙第一記載のとおりの目的構成の団体であり、その行動は、集会、表現の自由を正当に行使することによつて目的達成を期そうとする平穏なものであることは、別紙第一記載の活動の実例の実績から極めて明らかであり、また従来官憲との間に全く紛争など発生していなかつたことから、本件集団示威運動も、同様に平穏性が保持されることは確実であつた。しかるに総理大臣は前記(イ)の本件異議申述の理由の如き誤つた、少くとも偏つた集団行動観をもつて本件集団示威運動を律したのであり、この点に重大な判断の誤がある。集団行動を、その集団の性質、その他具体的事情を捨象して、常に前記異議理由のような危険を含むものとして把えるならば、如何なる集会、行進も総て禁止できることになるであろうが、憲法がこのような考え方を排斥していることは明らかである。さらに、本件集団示威運動の行なわれる日が土曜日で、国政審議の阻害ということは全く考えられないものであつたことも前記のとおりである。したがつて、総理大臣の異議申述によつてまで、本件集団示威運動の国会周辺コースの通行を禁圧しなければ、国政の秩序を保ち得ないなどとみるべき合理的根拠が存在しないことは明らかであつた。このような場合になされた本件異議申述は、仮に行訴法第二十七条による異議申述の要件の存否の判断について、総理大臣に一応裁量権があるものとしても、著しくその裁量を誤つたものであり、裁量権を濫用した最たるものといわなければならない。
(ヘ) 総理大臣の異議申述があつた場合、その異議理由の当否について執行停止裁判所が審査することはできないとの論をとつたとしても、そのことから当該異議申述が如何なる手続においても、如何なる場合においても、常に適法として取扱われるべきことを意味するものではなく、裁判所が別訴においてその適法の審査をなし得なくなるものでもない。執行停止手続において、裁判所に異議の当否についての審査権を認めないとすることについて、何らかの実質的根拠があり得るとすれば、それは執行停止によつて受ける行政機能等の重大な破綻をさける緊急の必要ということのほかにはないであろう。もしこのような緊急性がない場合には、行訴法第二十五条第六項の即時抗告をすれば十分である。総ての行政処分に司法審査が及ぶことは憲法の根本原則であり、これに対する制約が必要最小限度に止められるべきことはいうまでもないから、本件訴訟のように緊急性の要請のない場合にまで、異議申述の当否についての裁判所の審査権を制限すべき理由はない。実定法上も行政法の領域では、司法審査の相対性は肯定されている。すなわち、取消し得べき違法な行政処分については、通常訴訟の前提問題としてはその違法性を審査し得ないにもかかわらず、抗告訴訟や国家賠償請求訴訟においては、司法審査の対象となるし、殊に国家賠償請求訴訟においては、行政処分の違法が別訴で確定されていることを前提とする必要がないのみでなく、出訴期間等の関係で当該行政処分の司法審査をなし得なくなつた場合においても、独自に行政処分の違法を主張できるのであるから、本件訴訟の如き損害賠償請求訴訟においては、総理大臣の異議申述の適法、違法について司法審査権が及ぶのが当然である。
右のとおり本件異議申述は違法でないとしても、行訴法第二十七条第三項、第六項前段に定められた総理大臣の異議申述の要件を具備しない違法なものである。
(五) 原告の権利に対する侵害
(三)で述べたように、本件異議申述がなされたため、原告はいわゆる国会周辺コースを通る集団示威運動を行うことができなくなり、このため原告は憲法第二十一条第一項によつて保障された権利を侵害された。
(六) 総理大臣の故意
総理大臣佐藤栄作は、同人が本件異議申述をすることによつて、原告の右憲法上の権利を侵害することを十分認識していた。
(七) 原告の損害
本件集団示威運動は憲法擁護を目的としたものであるから、国権の最高機関であり、かつ憲法改正の発議権を有する国会の周辺において実施することが、重要な意義と効果をもつものであつた。このような本件集団示威運動の主催者であり、かつ現実にこれに参加した原告が、本件異議申述によつて国会周辺の通行を禁じられたことによる精神的損害は極めて大きく、これを金銭に評価すれば、優に百万円を超える。
(八) 被告の責任
被告の公務員である総理大臣佐藤栄作が、行訴法第二十七条に規定された権限の行使として、本件異議申述を行ない、これによつて原告に右の損害を与えたのであるから、被告は国家賠償法第一条によつて、原告が受けた右損害を賠償すべき義務がある。
よつて、原告は被告に対して金百万円、およびこれに対する本件訴状が被告に送達された日の翌日である昭和四十二年七月二十二日から完済に至るまで、民事法定利率である年五分による遅延損害金の支払いを求める。
第三、被告の答弁
(一)(1) 原告の請求原因(一)ないし(三)の事実はいずれも認める。
(2) 原告の請求原因(四)の本件異議申述が違憲、または違法であるという法律上の主張はすべて争う。同(四)の(3)の(ロ)のうち、本件集団示威運動の行なわれる日が土曜日で、国会は衆参両院とも本会議、委員会、その他審議は一切予定されていなかつたことは認める。同(四)の(3)の(ホ)のうち、東京護憲が所属する上部団体、東京護憲の加盟団体が原告主張のとおりであること(但し、憲法を守る会の数を除く)、東京護憲が昭和四十二年五月三日、憲法二十周年記念国民記念講演会を行なつたことはいずれも認める。東京護憲の個人加盟者数、東京護憲が昭和四十二年二月十一日、紀元節復活反対街頭宣伝を行なつたということはいずれも知らない。社青同東京地本の構成員が後に事実上東京護憲に不参加となつたということ、昭和四十二年五月二十九日に五、二九ベトナム侵略戦争反対、憲法擁護横田大集会が行なわれたということ、東京護憲が従来の活動において、官憲と紛争を生じたことが全くないということはいずれも否認する。
(3) 原告の請求原因(五)ないし(七)の事実はいずれも否認する。同(八)の主張は争う。
(二) 本件異議申述の合憲、適法性
(1) 行訴法第二十七条の合憲性
(イ) 行訴処分が法律上の争訟の裁判の対象に含まれ、したがつて行政処分の適法、違法を審査し、違法と認められた場合に判決をもつてこれを取消す権限が司法権に属し、これに対して行政権が介入することは憲法上許されないことには異論がない、しかし、裁判所が固有の司法権の行使として行政訴訟を取扱うのは、行政処分の適法を確定するだけであつて、自ら行政権を行使して新たに行政処分をするためではない。他方行政処分は、適法、違法について争いがあつても司法審査によつて終局的に違法と確定されて効力を失うまでは一応有効なものとして取扱われ、自力執行性を有するのである。したがつて、争いがあつても、行政処分を執行するとしないとは、本件行政権の作用に属し、司法権は終局判決によつて行政処分を失効させる以外に、行政処分の自力執行性に干渉する権限を当然有するものではない。行訴法第二十五条に規定する行政処分の執行停止の制度は、司法救済の効果を全からしめるための政策的考慮から、法律が特に行政権に譲歩させて、司法権に行政処分の効力、執行を一時的に停止する行政処分をする権限を認めたものであり、司法権に内在する固有の権限によるものではない。そして、行訴法第二十七条は総理大臣が異議を申述したときは、右の法律によつて裁判所に認められた行政処分をする権限がその限りにおいて消滅するため、裁判所は執行停止決定することができず、また、すでになされた執行停止決定の効力も当然に消滅するために、これを取消さなければならないことを規定したものなのである。すなわち、行訴法第二十七条の規定は、当該行政処分の執行に関し、行政権の判断と司法権に委ねられた行政的判断との対比において、行政機の判断の優越性を認めるのを妥当とする立法的裁量に基くものであつて、これをもつて行政権の本来の司法に対する侵害ということはできない。
(ロ) 憲法は司法権の観念、およびその範囲について何ら規定していないが、行政事件の裁判権を含む点で旧憲法下におけるよりも実質的に範囲が拡大されたほかは、従来の観念にしたがつていると解されている。憲法が採用している三権分立の制度は、国家の統治権を、一般規範の定立、観念的な判断作用、および具体的な意思活動とに区分して、これらをそれぞれ独立して別個の機関に行わせるところにあるとされている。これら三権のうち、立法の観念は比較的明確であるから、司法の観念は、行政のそれと対比検討することによつて明らかにすることができる。行政は具体的な国家目的の実現を意欲する意思活動であり、あくまで結果を積極的に意欲するものである。法を執行するということも法の定めた目的を表現することが主眼であり、法に拘束されるということも、法が行政活動の自由を制限する意味においてである。行政は、法が存する場合にはこれを尊重しなければならないが、必しも法を必要としないし、また法の存しない分野においても必要な作用である。これに対して司法は、個々具体的事件について法を適用して、法が抽象的仮言的に定めるところを具体的定言的に宣言して、適法、違法、または権限関係の存否を確定する観念的な判断作用である。その結果、法主体間の具体的紛争、または利害の衝突を法律的に解決するものであつて、当初から結果を意欲するものではない。行政も法を執行し、また法の拘束を受ける関係上、法を解釈し、法律判断をすることはあり得る。しかし、それはあくまで目的を表現するための手段として附随的になされるにとどまるのに対し、司法は、目的実現の必要性、結果の当、不当の考慮を離れ、専らこの判断作用のみをとりあげるのである。この点に両者の本質的な相違がある。右のように司法権の作用を具体的事件に法を適用する判断作用と観念する以上、その法が私法であるか公法であるか、私人間の紛争であるか、行政庁の国民に対する権力行使の関係であるかによつて区別すべき理由はないといわなければならない。したがつて、行政事件の裁判も、それが法適用の保障的意義をもつ限りにおいては、司法の観念に属し、行政とは区別されなければならないことになる。このような観点から憲法は一切の法律上の争訟について司法裁判所に裁判権を認め、従来の民事、刑事の裁判のほか、行政事件についての裁判権を認めることにしたのである。しかしながら、司法裁判所が行政事件の裁判を取扱うといつても、それはあくまで司法権の機関としてであつて、前述の司法の観念をこえて、広く行政権の監督機関としての地位を有するに至つたものでないことはいうまでもない。したがつて、その権限の行使には一定の限界があること、換言すれば、法律に特段の定めがない以上、司法の観念に伴う制約の存することは認めなければならない。即ち、司法裁判所が行政事件を取扱うということは、ただ行政処分の適法、違法を判断するだけであり、行政処分が違法であると判断した判決が確定したとき、はじめて処分取消しの効果が生じ、当該処分は遡つてその効力を失うに至るのであつて、司法裁判所は本来これ以外の方法によつて行政処分の自力執行性に干渉し得る権限を有するものではない。
(ハ) 憲法はその第七十六条第三項で裁判官の職権行使の独立を規定するにとどまらず、第七十七条、第七十八条、第八十条等で、本質的には立法、あるいは行政の作用に属する権限を裁判所に属させて、制度的にも司法権の独立を保障しようとしていることは、原告の主張するとおりである。そして、憲法が特に司法権に委ねた右の諸権限の行使について、立法権、または行政権が干渉することが許されないことはいうまでもない。しかし憲法が委ねた右の諸権限以外のもので本来実質的には行政権の作用に属すべきものを、法律が特に司法権に委ねたものについては、必しもその行使について独立性が保障されているとはいえないのである。法律が司法権にこれらの権限を委ねるにあたつて、その方法、限度等を如何にするかは、立法裁量に委ねられている問題であるから、一定の要件を充した場合に、行政権が司法権に譲歩して委ねた権限を消滅させることができるようにしても、これをもつて直ちに司法権の自律性を侵害し、憲法に違反するものとはいえないのである。したがつて、総理大臣の異議申述制度は、司法権の自律性を侵害する違憲の制度とはいえないし、また総理大臣の異議申述は、執行停止決定後なされる場合においても、裁判所決定の当否とは別個の見地からなされるものであり、本案訴訟の裁判には形式的にも実質的にも何らの影響を及ぼすものではないから、本来の司法権の作用である行政事件の審査権には、間接的にも干渉するおそれはないのである。右のとおり行訴法第二十七条は、憲法第七十六条第一項、第三項に違反する違憲な法規ではない。
(2) 本件異議申述の合憲性
集団示威運動の許可に関する処分の取消しの訴が、当該運動の実施日までに判決を得ることが事実上不可能な場合が生ずることは、原告の主張するとおりであろう。しかし、判決を受けるまでの間に、期間の経過によつて、訴の利益を喪失することになるのは、他にも例のあることで、厳重な手続法に従つて慎重な審理をすることを要する司法審査においては、やむを得ないことといわなければならない。行政処分の執行停止制度は、終局判決に至るまでの間の当事者間の法的状態の暫定的安定を保持する目的で設けられたものであつて、本案訴訟が判決に至るまでの期間の経過によつて、訴の利益が喪失することになるおそれのある事案についても、本案訴訟の代替的訴訟として簡易迅速な手続によつて、判決に代る裁判を司法本来の作用としてなすために認められた制度ではないのである。すなわち、行政処分の執行停止制度は、期間の経過による訴の利益の喪失という結果を救済する制度ではないのであり、右のような事案についての執行停止を一般の事案の場合と別異に考えるべき理由は存しないのであつて、憲法上の司法権に内在する権限でないことに変りはないのである。したがつて、本件異議申述によつて、裁判所の執行停止の権限を消滅させたことをもつて、憲法第三十二条によつて保障された原告の権利を侵害したということはできないのである。
(3) 本件異議申述の適法性
(イ) 行訴法第二十七条が定める総理大臣の異議申述は、訴訟手続内において当事者の立場で、裁判所がした判断、措置の是正を求めるものではなく、総理大臣が、司法権に対立する行政権を代表する立場において、その政治的見地から司法機関としての裁判所に対してなされる申入れとしての性格を有するものである。したがつて、異議申述について、当該行政処分を早急に執行しなければ公共の福祉に重大な影響があるか否か、異議の申述が止むを得ないものであるか否かは、すべて総理大臣の高度の政治的裁量に委ねられているのであつて、その裁量権行使の当否については、政治的責任を生ずることはあつても、違法の問題を生ずる余地はない。
(ロ) 国会は国権の最高機関として、その審議が如何なる物理的圧力、心理的威迫、その他の妨害をも受けることなく、公正に行なわれるよう常に静穏な環境が保障されなければならないものであつて、開会中の国会周辺の静穏の保持は、高度の公共の福祉の内容をなすものである。総理大臣は、本件集団示威運動が申請どおりの進路によつて行なわれるときは、国会周辺において集団示威運動の気勢が国政審議に加えられることになりまた、両院議員、政府職員、その他国会審議に関係する者の国会、その他の関係施設への出入、往来を確保することができなくなるおそれがあり、かかる事態は国会の審議権の公正な行使を著しく阻害し、公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあると判断して本件異議申述をなしたものであり、本件異議申述は、その理由において、右のとおりの公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれのある具体的事情を明確に示しているから、行訴法第二十七条第二項に定める要件を充たしている。さらに、前記(イ)のとおり、行訴法第二十七条第三項は、総理大臣の異議申述に対する訓示規定であるから、仮に本件異議申述の理由が、右規定の要件を十分に充たしていないとしても、そのことは、本件異議申述の違法という問題を生じない。
(ハ) 東京護憲は、昭和四十二年六月十日に東京地評傘下の労組員、その他の者を合わせて約二万名を動員し、これを四ブロックに分けて、憲法二十周年、ベトナム反戦、沖繩返還、自衛隊違憲、小選挙区制紛砕、春闘勝利、生活擁護国民大行進(略称憲法二十周年国民大行進)なる集団示威運動を行なうことを計画し、本件集団示威運動は、その西部ブロックの行動として計画されたものである。そして、本件集団示威運動の許可申請書には、参加予定人員約千名、参加予定団体としては抽象的に東京護憲構成団体と表示されていたが、東京護憲の構成団体である東京地評においては、同年五月二十六日、各単産委員長、地区労議長に宛てて動員要請書を送つたのであり、これによると本件集団示威運動には延四千五百五十五名(最大時三千三十五名)の参加が予定されていたのである。また、東京護憲を構成する団体の所属員中には、社会主義青年同盟(略称社青同)の所属員も参加しているのであるが、社青同は国会周辺道路で放歌、合唱、シュプレヒコール等により喧騒を極め、蛇行進を行つて交通を杜絶させる等の行為を行い、国会議事堂周辺の平穏を害して国政審議に影響を与えたりすることがしばしばあつたのである。集団示威運動についての危険発生の蓋然性は、主催者(団体)の性格のみによつて判断できるものではなく、その集団示威運動の日時、場所、目的、参加者(団体の性格、その他諸般の情況によつて容易に不穏な集団に転化して、暴力により国会構内に乱入したり、議員の登退院を妨害したりして、国政の審議権の公正な行使を阻害するものであることは、公知のことともいえ、別紙第二記載の事例に徴しても明らかであり、さらに本件集団示威運動の主催団体である東京護憲が別紙第三記載のような違法行為を行なつたことがあることからすれば、本件集団示威運動が、その平穏性の保持されることが確実であつたとはいえないのである。
(ニ) 総理大臣の異議申述の制度は、前記(1)の(イ)のとおり、行政処分の執行停止について、法が司法権の判断と行政権の判断との対比において、後者の優越性を認めたものであり、したがつて、総理大臣の異議申述が行訴法第二十七条第三項、第六項前段の要件を具えているか否かは、すべて総理大臣の判断に委ねられているのであつて、その当否については司法裁判所の判定に服するものではない。このことは、統治行為についてその法律上の有効無効を審査することは司法裁判所の権限の外にあるのみでなく、その効力が前提問題として主張されている場合はもとより、統治行為による損害賠償請求訴訟においても、裁判所はその適法、違法を判定することができないのと類似しているものと考えられる。行政処分は、客観的には違法であつても、公定力を有するが出訴期間の経過により形式的に確定し、その効力を争いえなくなつても、それ故にその処分が実体法上適法なものとなるわけではないから、後に裁判所がその違法を判定することは、公定力によつて、妨げられるものではない。したがつて、出訴期間が経過したため、行政処分の効力を争いえなくなつた後においても当該行政処分によつて生じた損害の賠償請求訴訟において、裁判所が右処分の適法、違法を判断しうることは、むしろ当然のことといわなければならない。しかし、これを本来司法審査権の及ばない総理大臣の異議申述にも類推して、異議申述に因つて生じた損害の賠償請求訴訟においては、裁判所が異議の当否の判断をなしうるとはいいえない。
右のとおり本件異議申述は適法であるのみならず、そもそも、裁判所は本件異議申述の適法、違法を判断する権限を有しないのであつて、適法、有効なものとして取扱わなければならないのである。
第四、証拠関係<略>
理由
第一当事者間に争いのない事実
原告主張の請求原因(一)ないし(三)の事実は、いずれも当事者間に争いがない。
第二行訴法第二十七条第一項、第四項が憲法第七十六条第一項、第三項に違反するという原告の主張について、
(一) 憲法第七十六条第一項は、「すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。」と規定する。この規定は憲法第四十一条、第六十五条とあいまつて、国家の統治機構について、国家権力を立法、司法、行政の三権の分け、これをそれぞれ異つた機関に分属させる、いわゆる三権分立の制度をとることを定めるとともに、司法権が裁判所に専属することを定めたものであることは明らかである。しかし、憲法には司法権の意義、範囲について、直接具体的に定めた規定はないから、司法権の意義について、従来の観念に従つたものと解される。すなわち、それは、基本的には具体的な法律上の争訟について法を適用して、ある事項の適法、違法を確定し、または具体的な権利義務の関係を確定する作用を行なう権限であると解されるのであるが、その対象となる争訟の範囲については、明治憲法下におけると同じく、民事、刑事事件に限られるとする説もあるけれども、憲法第三十二条、第七十六条第二項、第八十一条の各規定が存すること、他方、現行憲法には明治憲法第六十一条のような規定がないことなどから考えると、右にいう争訟には、民事、刑事事件のほか、行政事件を含むものとなつたと解するのが正しいと考える。
被告は、憲法七十六条第一項によつて直接に裁判所の権限とされる司法権とは、前記のとおりの適法、違法、または権利義務関係を確定するという判断作用(以下「固有の司法作用」という)を行なう権限に限られると主張するが、国家統治機構についての権力分立制度なるものは、法治国家における国家の権力作用の理論的分類から当然に生じる結果ではなく、また、国家機関相互の権限の画定自体を目的とするものでもなく、主として自由主義的政治思想に基いて、国家権力の集中による個人の自由、権利の侵害を防止するという目的から生じた歴史的制度であり、とりわけ、司法権と行政権とを分立させる意義が、個人の自由、権利の法的保障を確実ならしめようとするところにあること、および我国においてはじめて法治国家としての三権分立制度がとられた明治憲法下以来、固有の司法作用に属さない処分的作用でありながら、なお司法裁判所の権限とされてきたという歴史的事実とを合わせ考えると、憲法第七十六条第一項によつて直接に裁判所の権限とされる司法権のうちには、固有の司法作用を行なう権限のほか、少くとも、民事事件における固有の司法作用による確定的法律判断の結果を有名無実のものとしないために、暫定的法律状態を形成する処分を行なう権限、すなわち、民事上の保全処分を行なう権限を含むと解すべきである。
ところ、行訴法第二十五条第二項ないし第五項に規定する行政処分の効力または執行の停止は、当該行政処分の適法、違法の確定的法律判断に基くものではないから、行政処分の効力または執行を停止する権限は固有の司法作用を行なう権限には含まれないのであるが、確定的法律判断作用に至るまでの当事者間の法的状態の暫定的安定を保持し、確定的法律判断の結果を有名無実のものとしないための処分であるという点で、民事事件における保全処分の一つである仮の地位を定める仮処分に類似するものがある。しかし、行政処分はその適法性について争いがあつても、権限ある行政庁によつて取消され、あるいは固有の司法作用による確定的法律判断によつてその違法であることが確定されるまでは、一応適法なものとして取扱われる、いわゆる公定力を有し、したがつて、行政庁はみずからその処分の執行をすることができる、いわゆる自力執行性を有するのであるから、行政処分の力または執行の停止は行政処分たる性質を有するものである。これに対して、仮の地位を定める仮処分は、それが確定的法律判断に基くものでなく、確定的法律判断に至るまでの間の当事者間の法的状態の暫定的安定を保持するという目的を達成しようとするものであるという意味において、すなわち権利義務関係についての法律判断の結果自体ではなく、端的にある目的の実現をはかる行為であるという意味において、行政的な作用であるけれども、その対象となる法律関係が、国家、その他の公権力主体の目的達成とは直接には関係のない私人間の法律問題であるから、これには、行政処分という性質はなく、いわば行政的司法処分である。このように、行政処分の効力または執行の停止も民事事件についての仮の地位を定める仮処分も、ともに固有の司法作用の実効性を確保するため、本案の裁判の確定前において暫定的に法律状態を形成する処分であるという点においては同じであるが、その形成の対象となる法律関係の性質の相違から、処分としての性質に差異がある。したがつて、前記のとおり、民事事件についての保全処分を行なう権限は憲法第七十六条第一項によつて直接に裁判所の権限とされる司法権に含まれると解すべきであるけれども、行政処分の効力または執行を停止する権限についても同様に解すべきであるとは断定できない。つまり、行政処分の効力または執行を停止する権限は、本来固有の意味における司法権の範囲には属せず、いわば行政的作用であるが、国家は、立法政策上、司法機関たる裁判所に行わせるのが適当であると思考した結果、行訴法第二十五条においてこれを裁判所の権限とするに至つたものである。いわば、それは、本来的な行政作用の司法権への移譲にほかならない。したがつて、その権限移譲にあたり、どのような態様で移譲し、どのように司法機関に行わしめるかも、一つに立法政策の問題であつて、合憲違憲の問題は起らない。
したがつて、行訴法第二十七条において、国政全般に通暁し、行政権の最終最高の責任者たる総理大臣に、公共の福祉の必要上、止むことを得ないと判断した場合にかぎり、行政処分の効力または執行停止の申立がなされた場合に、裁判所のなすべき停止決定の権限を抑制し、また、右申立に基づき裁判所のなした停止決定の効力を事実上奪う権限を与えたことは、立法政策として、当、不当を論ずる余地は十分にあるけれども、これをもつて違憲視することはできないのである。したがつて、行訴法第二十七条第一項、第四項の規定が憲法第七十六条第一項に違反するものであるとはいえない。
(二) 憲法第七十六条第三項は、「すべて裁判官は、その良心に従い、独立してその職権を行ない、この憲法、及び法律にのみ拘束される。」と規定し、司法権独立の根本である裁判官の職権行使の独立を保障しており、右の「職権」とは、憲法第七十六条第一項によつて直接に裁判所の権限とされる司法権に含まれる権限のみでなく、法律によつて裁判機関としての裁判所の権限とされたものを含むと解すべきである。
ところで、行政処分の効力または執行を停止する権限が憲法第七十六条第一項によつて直接に裁判所の権限とされる司法権(固有の意味における司法権)には含まれず、それは法律によつて裁判所の権限とされるに至つた権限であること、したがつて、行政処分の効力、または執行を停止する権限を如何なる限度で裁判所の権限とするかは、憲法の他の規定に違反しない限り立法権の裁量に属する事項であることについては、さきに述べたとおりである。そして、行訴法第二十五条、第二十七条を総合して考えると、行政処分の効力または執行の停止については、司法権の機関である裁判所の判断に対し、行政権の機関の首長である総理大臣の判断に優越性を認め、行訴法第二十七条第一項、第二項、第五項の要件を具えた総理大臣の異議申述をいわば解除条件として、行政処分の効力または執行を停止する権限を裁判所に与えたものと解される。すなわち、行訴法第二十七条第四項は、裁判所が行政処分の執行停止決定をする前に総理大臣が異議申述をしたときは、裁判所は当該行政処分の執行を停止する権限を失うため、その執行停止決定をすることができず、また、裁判所が行政処分の執行停止決定をした後に総理大臣が異議申述をしたときは、裁判所の当該行政処分の効力または執行を停止する権限が遡及的に失われるために、執行停止決定は遡及的にその効力を失なうということを定めたものであり、同項後段が、右の場合において裁判所はさきになした執行停止決定を取り消さなければならないとしているのは、執行停止決定の失効を明確にさせるためであつて、この取消決定は、執行停止の権限を有する裁判所がその権限の行使として行なう、行訴法第二十六条第一項に基づいてなされる執行停止決定の取消決定とはその性質を異にするものと解される。してみると、実質的には行訴法第二十七条第一項、第二項、第五項の要件を具えた総理大臣の異議申述は、行政権から移譲され、裁判所の権限とされるに至つた行政処分の効力または執行の停止権限自体を消滅させるものということができる。このようなことは、裁判所の権限行使の面においては、きわめて異例のことに属するものといえる(恩赦という制度は結果的には類似の効果をもつものであるが、恩赦の場合は、裁判権の行使が完了してから後の問題である)。これがため、行政処分の効力または執行停止決定にあたる裁判官としては、自己の判断ないしは結論が決定的な意義をもつものとは考えてはならず、当事者もまた、これについてなされる裁判所の決定が総理大臣の異議によつて、動かされうるものと考える余地があるという点において、この裁判が、他の通常の裁判にくらべて、重量感と権威とに乏しいうらみはある。しかし、そうだからと云つて、右行訴法第二十七条によつて裁判官が、行政処分の効力または執行の停止を求める事件において、心証を形成し、決定を下す作業をなすに当つて、他の行政機関なかんずく総理大臣から干渉をうけていることにはならない。裁判官はこの種事件を裁くについて、他の事件の場合と同様、良心に従つて、慎重に、審理することができる。行訴法第二十七条があるが故に行政権におそれを抱き、あるいはこれに迎合する裁判官はおそらく皆無であろう。これが司法の伝統である。そして、このような伝統を維持するうえにおいて、行訴法第二十七条は、理論上も格別の支障を来すものではなく、また、実際問題としても、なんらの支障のあることを想像することができないし、またこれを見聞したこともない。たゞ、最近、事実として、裁判官が良心に従つてなしたであろう停止決定が、総理大臣の異議によつて、結果的に効力を失うに至る場合をときおり散見する。しかし、これは制度上止むを得ないことである。それは、そのような態様において、裁判所に執行停止の権限が移譲されたに過ぎないからである。この制度のもとにおいては、国民は裁判官の良心と、総理大臣の国政に対する強い責任感、すぐれた識見に期待するのである。そして万一、不幸にして、総理大臣の異議の措置が実質的に不当である場合には、行訴法第二十七条第六項において、総理大臣に対して、その政治責任を問いうる途を残してある。
以上の次第であるから、行訴法第二十七条第四項の規定が憲法第七十六条第三項に違反するものであるとはいえない。したがつて、本件異議申述が憲法七十六条第一項、第三項に違反する無効なものであるという原告の主張は採用できない。
第三本件異議申述は憲法第三十二条に違反するという原告の主張について、
(一) 本件異議がなされるに至つた経過についての請求原因(二)の事実(昭和四十二年六月五日、原告が都公安条例に基づいて、都公安委員会に対して同月十日に行なわれる本件集団示威運動の許可申請をしたのに対して、同月八日、県公安委員会が、原告が許可申請した行進順路のうちのいわゆる国会周辺コースを変更する条件を附した許可処分したので、同日、原告は東京地方裁判所昭和四二年(行ウ)第八二号事件として、右許可処分の条件の取消しを求める訴を提起した)は当事者に争いがない。
右の経過によれば、本件集団示威運動実施時期までに、原告が提起した都公安委員会の許可処分の条件の取消しを求める訴についてその本案判決をうることは事実不可能であり、司法的救済として原告が裁判所に期待できるのは、行訴法第二十五条による停止決定をおいてほかにないことは原告の主張するとおりである。その唯一の司法的救済方法であつた本件停止決定が総理大臣の異議申述によつて効力を失うに至つたことは当事者間に争いなく、原告はこの点を捉えて、右異議の申述は、司法的な唯一の救済方法を閉したから憲法第三二条に違反すると主張する。
しかし、司法的救済がとざされるから違憲だとすることにはにわかに賛同できない。問題の性質はかなり異るが、たとえば、株主総会の開催禁止の仮処分を例にとるに、もし、申請どおりの仮処分が発せられると、総会開催日が近いため、会社側は控訴または仮処分異議によつてこれを争つても、間に合わず、また、本案訴訟を、提起しても間に合わない。これは、仮処分によつて、事実上本案の裁判権が奪われる事例である。しかし、この場合には違憲論を聞かない。本案裁判が当初から期待できない点においては、右株主総会の事例と本件の場合とは同様である。本件が右の場合と異なるのは、司法機関以外の総理大臣の異議によつて、可能と考えられていた司法的救済が得られなくなるという点である。しかし、さきにも述べたように、総理大臣の異議権を認めた行訴法第二十七条の規定が、違憲でない以上、右規定に準拠して、総理大臣がその異議権を行使し、その結果、原告が期待した司法的救済の実効を収めえなくなつたとしても、その故に、異議権の行使が憲法第三十二条に違反するものということはできない。ちなみに、もし、裁判所に与えられた執行停止の権限が行政処分の効力を争う本案訴訟の代替物として認められたと仮定すれば、これに対する総理大臣の異議は、たしかに、憲法第三十一条に違反する。
しかし、法文上はそうでない。右執行停止の権限は、仮処分と同様、本案訴訟の提起をその前提とし、異議によつて失なわれるのは、停止決定の効力だけである。そして停止決定をなす権限は、くりかえし述べたように、その本質は行政作用ないしは行政権限であるにかかわらず、国会の立法によつて特に行政機関から司法機関に移譲されたものであつて、固有の意味における司法権には属しないものである。したがつて、内閣総理大臣が本件の異議を述べたことは、憲法第三十二条には違反しない。
第四本件異議申述は行訴法第二十七条第三項、第六項前段の要件を具えない違法なものであるという原告の主張について、
(一) 行訴法第二十七条第三項は「前項の異議の理由においては、内閣総理大臣は、処分の効力を存続し、処分を執行し、又は手続を続行しなければ、公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれのある事情を示すものとする。」と規定し、第六項前段は、「内閣総理大臣は、やむをえない場合でなければ、第一項の異議を述べてはならず、」と規定している。これらの規定内容からすると、総理大臣の異議は、当該訴訟における当事者としての立場で、裁判所に対して裁判を求める申立ではなく、司法権と対立する行政権を代表する立場で、その行政的政治的責任において、司法権の機関である裁判所に対して行なう、当該行政処分についての裁判所の執行停止権限を消滅させる申入れという性格をもつものであることが分る。このことと同条第三項の「事情を示すものとする」という文言自体、および同条第二項、第四項と合わせて考えると、同条第六項後段と相まつて、これら一連の規定は、異議申述についての総理大臣の政治的責任を明らかならしめることによつて、異議申述を慎重にさせようとするものであつて、裁判所は、異議の理由として示された事情の存否、およびそれが公共の福祉に重大な影響を及ぼすものといえるか否かについての判断権、すなわち異論の理由の当否についての判断権を有しないと解するのが相当であり、同条第六項前段についても同様である。すなわち、行訴法第二十七条第三項、および第六項前段はいずれも、こと裁判所に対する関係においてはいわゆる訓示規定であり、これに対する適合性の有無は、政治責任の問題として、国会において検討さるべきことがらであり、適法、違法の問題として、裁判所で審判の対象となる問題ではない。
(二) 原告は、総理大臣の異議の当否について執行停止裁判所(異議申述を受けた裁判所)は判断権を有しないとしても、それは当該行政処分執行の必要の緊急性ということ以外には実質的な根拠がないから、右の緊急性にかかわりのない本件訴訟においては、本件異議申述の理由の当否について判断されるべきであると主張するが、行訴法第二十七条が異議の理由の当否について執行停止裁判所に判断権がないものとして規定したのは、前記のとおり行政処分の執行停止が行政処分たる性質を有することに鑑み、執行停止については、その結果について法的にも政治的にも何らの責任を負わない司法権の機関である裁判所の判断よりも、行政的、政治的責任を負う行政機関の首長である総理大臣の判断に優越性を認めたことによるのであつて、行政処分執行の必要の緊急性に基づくものではないと解されるから、原告の右主張は採用できない。
(三) なお附言すれば、憲法が行政処分も司法審査の対象に含まれるものとしたのは、行政処分による個人の権利、利益の侵害の救済を目的としたものであつて、行政処分の違法を主張させること自体に目的があるわけではない。ところで、行政処分の執行が総理大臣の異議申述によつて停止されなかつたことによる権利、利益の侵害とは、とりもなおさず当該行政処分の執行による権利、利益の侵害である。しただつて、総理大臣の異議の理由の当否について裁判所に判断権がなく、総理大臣の異議申述の違法を理由として侵害利益の救済を求めることができなくても、もし、紛争の端緒である行政処分自体が違法であるとすれば、その違法を理由として当該行政処分を行つた行政庁に対して侵害利益の救済を求めれば、その目的は達せられる余地がのこつている。これを本件についていえば、原告が本件異議申述によつて侵害されたとする原告の権利は、第一次的には都公安委員会が本件集団示威運動についてなした条件付許可処分によつて侵害されたものといえるから、原告は右条件付許可処分の違法を主張して本訴請求の目的を達しうる余地がないわけではない。しかし、本訴においては、原告は、都公安委員会のなした右処分の違法を理由として国家賠償を求めているものではないので、この点については、当裁判所としては判断することはできない。
以上のとおりで、本件異議申述が違憲、または違法であるという原告の主張はいずれも採用できないものであるから、本件異議申述が違憲、または違法であることを理由とする原告の請求は、他の点については判断するまでもなく、理由がないものといわなければならない。
よつて、原告の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。(伊東秀郎 寺井忠 奥山興悦)
第一東京護憲の目的、構成、活動
(一) 目的
全都民の結集をはかり、平和憲法を護り、憲法改悪とその空洞化に反対するとともに、憲法の平和、民主的条項の完全実施を目指す運動や、右目的達成に必要な事業を行う。
(二) 構成
(1) 所属上部団体 憲法擁護国民連合(略称中央護憲)
(2) 加盟団体 社会党東京都本部、東京地評、電機労連東京地協、日本婦人会議東京都本部、社青同東京地本(但し、後に組織問題から、その構成員は事実上不参加)、東京都各区毎の二十三地区護憲(地区護憲の下部組織として四十六の憲法を護る会)
(3) 個人加盟者 約二千五百名
(三) 活動例
(1) 昭和四十二年二月一日 西銀座数寄屋橋公園において、紀元節復活反対街頭宣伝行動
(2) 同年五月三日 日比谷公会堂において、憲法二十周年記念国民集会、記念講演会
(3) 同年五月二十九日 五・二九ベトナム侵略戦争反対、憲法擁護横田大集会
第二国会周辺の集団示威運動により国政審議が阻害された事例
(一) 議事堂周辺において、著しくけん騒をきわめて、国政審議、および議員活動を妨害し、さらに議事堂構内へ乱入して、国政審議に直接重大な脅威を与えたもの、
(1) 昭和二十五年三月九日 第七回国会開会中、約一万名のデモ隊が、議事堂後庭に乱入し、さらに議事堂への侵入を図つた。
(2) 昭和二十六年十月一日 第九回国会開会中、約四千名のデモ隊が柵を乗り越えて、議事堂構内へ侵入した。
(3) 昭和三十四年十一月二十七日 第三十三回国会開会中、約二万名のデモ隊が二度にわたつて議事堂構内に乱入し、約一時間にわたつて占拠した。
(4) 昭和三十五年六月十五日 第三十四回国会開会中、約四千名のデモ隊が衆議院南通用門の門扉を破壊して議事堂構内へ乱入し、約三時間にわたつて中庭を占拠した。
(二) 議事堂周辺において著しくけん騒をきわめて、衆、参両議院の正門、通用門前路を長時間占拠して議員の登、退院に支障を生ぜしめ、または、議員面会所、議員会館の出入口を塞ぎ、けん騒をきわめて議員活動を妨害したもの、
(1) 昭和三十六年六月二日 第三十八回国会開会中、約六千名のデモ隊が、衆議院第一議員会館前でデモを行い、議員会館の出入、および議事堂裏道路の通行をと絶させた。
(2) 昭和三十七年十二月十四日 第四十二回国会開会中、約四千名のデモ隊が議事堂裏道路でデモを行い、参議院議員面会所前路上に坐り込んで、気勢を上げ、同所の出入を阻害した。
(3) 昭和四十年十月十二日 第五十回国会開会中、約三百名のデモ隊が参議院議員面会所前道路に坐り込み、気勢を上げて、同所の出入を阻害した。
(4) 昭和四十年十月十五日 第五十回国会開会中、約九百名のデモ隊によつて、右(3)と同様のことが行われた。
(5) 昭和四十二月五月十二日 第五十五回国会開会中、約四十名のデモ隊が衆議院議員面会所前路上に坐り込んで気勢を上げ、同所の出入を阻害した。
第三東京護憲の違法行為例
(一) 昭和四十一年五月二十九日 五・二九ベトナム反戦、護憲横田大集会後のデモ行進において、許可条件に反し、旗竿を横に構え、蛇行進、渦巻行進を反覆敢行し、一般交通を著しく混乱させた。
(二) 昭和四十一年六月二十日 ベトナム侵略米軍北区野戦病院設置反対都民集会後において、許可条件に反し、かけ足、坐り込み、フランスデモを敢行し、一般交通に著しい障害を与えた。
(三) 昭和四十一年十月十六日 一〇・一六護憲反戦平和東京大集会後のデモ行進で、許可条件に反して激しいシュプレッヒコールで気勢を上げ、道路上に停滞し、あるいは旗竿を横に構え、渦巻行進を行い、警察部隊の規制を受け、その際一名が検挙された。以上